オーディトリー・ニューロパチーと共に|人工内耳装用者として、研究者として歩む
今回は、北陸学院大学 人間総合学部 社会学科教員の勝谷紀子さんにお話をお伺いしました。勝谷さんは小学生の時に難聴を指摘されてから、2017年にオーディトリー・ニューロパチーという病気が判明するまで、実に約35年もの間、聞こえにくさに伴う様々な心理的葛藤を抱えて生きてこられました。難聴の原因がわかったことで、これまでの自身に対する認識が大きく変わったといいます。そんな経験を活かし、勝谷さんは今、難聴者の心理に焦点を当てた研究に邁進されています。当事者であり、また研究者でもある勝谷さんに、「聞こえにくさを抱えて生きる」ということはどのようなことなのかをお聞きしました。
音は聞こえるのにことばが聞き取れない
ーー聞こえにくさに気づいたのはいつ頃ですか?
勝谷:小学校5年生くらいの時に祖父から「紀子は耳が悪いんじゃないか。一回耳鼻科で診てもらいなさい」と言われて、近所の耳鼻科に行くと低い音の聞こえが悪いとわかりました。大きな病院でも診てもらいましたが、低い音の聞こえが悪いことはわかったものの、特別な治療はせず終わってしまいました。その後も病気は見つからず、普通校に進み、そのまま大学まで進学しました。
ーーその時は聞こえにくいという自覚はありましたか?
勝谷:子どもだからか、はっきりとは自覚がなかったんですよね。ただ、お店に行って、店員さんから何か言われたけれどよくわからないという経験はしていて。その時に、とりあえず「うん」と言って済ましてしまう、という方略を知らず知らずのうちに身に付けていました。「耳がおかしいんじゃないか」と言われて気にするようにはなったものの、難聴などと深く考えず、どうにかやりくりしながら過ごしていたのではないでしょうか。今ほどはっきり自覚はできてなかったのだと思います。客観的に自分を見られていなかったからかもしれない。耳が悪くて困ったという当時の記録も残っていない。どう困っているのか、どう助けてほしいのか認識できていなかったのだと思います。
ーー学生時代に聞こえにくさで困ることはありましたか?
勝谷:だんだん聴力が落ちていって、高校生の時は席替えで後ろになってしまうと、先生に指されているのがわからない、などの経験がだんだん出てきました。ただ、高校生の時に耳鳴りがうるさかったので小学生の時に診てもらった耳鼻科に再び行ったのですが、やはり「低い音の聞こえが悪いですね」と言われ、以前行った病院を紹介されたので結局行かずじまいでした。
ーー大学に進学して以降はどうでしたか?
勝谷:大学になると、大教室の授業があって先生がマイクで話すのですが、先生の声がガンガン聞こえてるのに何を言っているのかわからない。当時は自分が勉強不足だから先生の難しい話がわからないのだろうと思って、あとで復習をしたりしていました。
でも、その頃からオーディトリー・ニューロパチーという病気だったのでしょうね。オーディトリー・ニューロパチーが報告された年が1996年で、私が大学に入った年が1992年ですから、まだ病気が見つかってない時期です。おかしいなと思いつつ、病院に行っても原因がわからないので、よくわからない状態でやり過ごしているような感じでした。
大学院に進学すると、研究会や学会など、よく聞こえてないといけないシチュエーションがだんだん増えてきました。先生から何か質問されてもすぐにはわからない。あと、電話での会話がよくわからなくなってきて、ベルが鳴るとトイレに行ってとらないようにしていました。トイレに行っていたから出られなかったのだ、ということにして。だんだん不便なことが増えてきたのです。
博士課程の時に、当時指導を受けていた先生に、耳が悪いことは言っていたので、「ちゃんと言った方がいい」と助言されて、身近な人には言うようになりました。
ポスドクになってから、ある就職活動の面接で受け答えがうまくできませんでした。これはもうごまかしがきかないなと感じました。その頃、障害がある人の心理学の研究についてある先生に教えていただきました。当時の私のような軽度障害についての研究もあると教えていただきました。それなら自分でもやってみようかと思い、難聴者の研究を自分でもやり始めるようになりました。当時はオーディトリー・ニューロパチーだとまだわかっていなかったので、わからないなりにいかにごまかしながらやり過ごすかという感じで過ごしていましたね。
ーーその頃は聴力検査の結果はどのくらいだったのですか?
勝谷:軽度難聴でした。低い音はひっかかるけれど、高い音は正常でした。お医者さんによっては正常と言われたりもしました。言葉の聞き取り検査(語音明瞭度検査)はまったく受けたことがありませんでした。ポスドクの頃、就職にむけてどうにかしないといけないと思い、補聴器を作ろうと耳鼻科にかかったら「低音部の感音性難聴」とわかりました。「補聴器を作りましょう」と言われて作ったけれど合わなくて。聞き取りが良くならなくて、あまり使わなくなってしまったんです。
ーーその後の就職はどうでしたか?
勝谷:たまたまご縁があって大学の仕事にどうにか就くことができました。面接では耳が悪いことは言っていました。以前、言わずに隠してやり過ごそうとしたものの、やはり言われていることがわからなくて、とんちんかんな返しをしてしまって大失敗して以来、もうこれは隠しちゃいかんなと。
どうにか他の人に難聴であることを伝えないといけないなぁと思っていて、でもカミングアウト的にするのが嫌だったのです。そこで、「自分も難聴の研究をしています。どうしてかというと私自身も難聴なのです」という感じでワンクッション置いて自分のことを言うようにしました。伝えることに対する抵抗感がものすごくありました。この頃は病気が見つかっていなかったので、どこかごまかしながらやり過ごしていたところがありました。
ーーオーディトリー・ニューロパチーだとわかったのはいつ頃ですか?
勝谷:2017年にわかりました。人間ドッグで聴力が落ちたとわかったので、もう一回ちゃんと聴力を調べてもらおうと思い、補聴器外来のある耳鼻咽喉科のクリニックに行ったら「聴力は正常だ」と言われて。聞き取りの悪さを伝えても取り合ってもらえなかった。純音聴力検査だけで問題ないと言われてしまいました。それで、徹底的に調べてもらおうと、ある先生から他の病院を紹介してもらって、やっとオーディトリー・ニューロパチーだとわかったのです。そこで初めて、語音明瞭度が50%を切っていて身体障害者手帳4級相当だとわかり、手帳を取得しました。
難聴との向き合い方が大きく変わった
ーー診断名がわかってどう感じましたか?
勝谷:見つかって良かったです。病気がわかってガッカリではなくて、ホっとしたというか、スッキリしました。発達障害の方で大人になってからわかるケースがあるのですが、そうした方々の心境と近いかもしれないですね。自分がうまくやれない原因は何なのか、自分のせいなのかなって思っていたのが実は病気だったとわかって、じゃあそんなに自分を責めなくていいんだなって。あと、病気だからしょうがないなって、過度に自分を責めずに済むのではと思いました。
ーー聞こえにくさを周囲に伝えるのも以前より気持ち的に楽になりましたか?
勝谷:そうですね。遺伝子検査で難聴の原因となる遺伝子変異もわかりました。自分でコントロールできない部分に原因があったので、聞こえにくいことがあっても自分のせいというよりも、そういう風に自分の身体ができているのだと、最近は思うようになりましたね。昔は自分の能力不足だと思っていたので、難聴を明らかにすると自分の評価が下がるおそれがあるから明らかにならないようにしようと思っていたのです。今は逆になりましたね。いかに明らかにするかを考えるようになりました。私の場合、身体障害者手帳のない時期が一番難聴をごまかそうとしていましたし、難聴が周囲にバレると自分が不利に評価されるのではと思い込んでいました。その頃が精神的には一番しんどかったかもしれないです。
ーー手帳を得るっていうのは気持ちの面で大きな転換期だったんですね。
勝谷:法的には障害者になったのですが、障害者差別や偏見を持たれる対象になるから障害者とみられたくないという気持ちはなく、私は手帳をもらってホっとしました。福祉的なサービスも受けられるようになったので良かったなと思っています。差別や偏見の問題にも自分自身の問題として以前とは異なる視点で関心を持つようになりました。当事者の立場から障害者福祉の問題を考えていきたいです。
人工内耳を装用して感じること
ーー人工内耳を装用しようと思ったのは何故ですか?
勝谷:オーディトリー・ニューロパチーとわかってからは両耳に補聴器を装用していましたが、しだいに言葉の聞き取りが悪くなってしまいました。音声認識アプリなしではコミュニケーションが難しくなり、仕事にも差し支えるようになったので、主治医の先生と相談して人工内耳の埋め込み手術を受けることを決めました。
ーー音入れ後に最初に音を聞いた時、どんなふうに感じましたか?
勝谷:普段左耳で音を聞いている感じがあまりないのですが、言語聴覚士の先生の「聞こえますか」という割れた感じの声が左から入ってきた感じがあって、ちゃんとした声が聞こえたと意外にもとジーンときてしまって。「音入れ楽しみですね」といろいろな方から言われていたので、これで全然聞こえなかったらどうしようというプレッシャーがちょっとありました。ちゃんと人の声として聞こえて良かったなと率直に思いました。
ーーイメージしてた聞こえ方と同じでしたか?
勝谷:機械の声や宇宙人の声みたいと聞いていましたが、そのとおりでした。手術を執刀してくださった先生は「大丈夫ですよ」とか「聞こえるようになりますよ」なとと楽観的なことを全然言わない先生で、むしろ、「手術中の神経の反応の検査が悪かった」と事実を率直に伝えていただき、過度に期待を持たせない感じでした。もともと期待を高く持ちすぎなかったからか、実際に声を聞いて、「おぉちゃんと聞こえるな」みたいになったのでしょうね。
ーー音入れ以降、だんだんと聞こえ方は変わってきましたか?
勝谷:変わってきましたね。はじめは合成音声のような機械で作ったような音声だったのが、だんだん人間に近づいてきました。
ーー補聴器の時と比べて違いますか?
勝谷:まったく違いました。補聴器はやはり音を大きくするという働きがメインなので、私にとっては輪郭がはっきりしない、極太マジックで書いた判読が難しい文字のような感じの聞こえ方でした。人工内耳での現在の聞こえは、太マジックで書かれた、なんとか判読できる文字のような。手術をして良かったなと思っています。これからも聞こえ方が変わっていくそうなので楽しみです。
ーー聞こえ方は当事者にしかわからないですよね。
勝谷:「私たちにしかわからない音の世界が広がっている」とある先生がおっしゃっていました。それを可視化できたら面白いですよね、今こんな風に聞こえているのだと。
きこえにくさを抱えて生きるということ
ーー聴力が少しずつ低下する中で、難聴をどのように受け止めてきたのですか?
勝谷:耳が聞こえにくい原因がオーディトリー・ニューロパチーだとわかった時が一番大きい転機でした。話を聞いてもよくわからないのは自分の能力や努力不足のせいとは限らない、耳の神経の病気のためだとわかって、問題に対する捉え方がすごく変わりました。それまでは、いかに難聴を隠すか、バレないようにするかが一番大事だったのですけど、その後はいかに難聴であることをきちんとわかってもらうか、その上で生活なり仕事なりをしていくかに考え方が変わっていきましたね。めずらしい病気を持っている自分、と自分に対する新しい認識が加わっていきました。人工内耳にすることを考えたりなど、聞こえにくさへの取り組み方が建設的な方向に変わったと思います。それまでは、聞き返しを繰り返して「もういいです」とネガティブな反応をされて、コミュニケーションに難がある自分を責めて落ち込むことがありました。今では、病気だと理解してくれる人がいるようになったので、聞き間違いをするなどの失敗をしても、「もういいです」と言われてしまっても、他に理解してもらえる人がいるから大丈夫、と受け止め方が変わったかなと思います。
あとは、教える仕事をしているので、自分を『歩く教材』として使えないものかと思い始めています。社会に出てから障害のある人に初めて接するのではなく、障害のある自分に接することがその後につながる経験になればいいなと思っています。今の勤め先で、人工内耳の音入れ前で左耳がまったく聞こえなかった時に、学生から質問されてもすぐにわからなくてもう一回言ってもらったりしていました。その時、ある学生が機転を利かせてスマホの画面に文字を打って見せてくれたことがありました。昔は難聴であることをいかに知られないようにするかばかり考えていましたが、今はこの立場をうまく使って障害の問題に役立てないかという考え方に変わってきていますね。
ーー診断名もつかず、手帳にも該当しない方は、なかなか受け止め方が難しいですよね。
勝谷:私も自分の聞こえの状態や聞き取りの悪さの原因がはっきりしなかった時期が一番精神的にしんどかったかもしれないです。難聴であることがバレてしまうと仕事に不利になるからいけないと内心思っていました。おそらくその頃は、体に不具合がある人に対するネガティブな考え方、いわゆる偏見のようなものが自分自身の中にあったために、バレてはいけないと考えていたのではないかと思っています。今では自分の聞こえの状態や原因がわかったので、いかに環境を整えるかを考えたり、人工内耳も見えるようにしたりなど、ふるまい方が変わっていったと思います。
ーー聞こえにくさを抱えている方々に対して伝えたいことを教えてください。
勝谷:誰かの目にとまればいいなと思い、WEBサイトにこれまでの経過をゆるく書いています。私が子どもの頃に受けた検査と違って現在の検査でわかることは非常に増えていると思います。遺伝子検査についても治るわけではないからやっても仕方ないのではと最初は思っていました。でも、実際には、遺伝子変異がわかるとどういう治療がいいか、その後の経過がわかる場合もあり、どう健康管理していけばよいかの役に立ちました。今では遺伝子検査をやって良かったと思っています。聞こえを補うためのさまざまな手段もあるので、お医者さんにかかって検査を受けて耳の状態を知ってほしいなと思いますね。もう少しトータルでサポートできる体制ができればいいと思っています。今困っている人はぜひどこかにつながってほしいと思います。
ーー今後の夢や目標を教えてください。
勝谷:先日出した書籍「難聴者と中途失聴者の心理学」の中で取り上げきれなかった片耳難聴や遺伝性の難聴についても今後考えていきたいです。聞こえにくさの質が多様であること、コミュニケーション以外にも職業生活や子育てなど聞こえにくさを抱えて生きている人びとの持つ問題が多様であることを今回の本で取り上げきれませんでした。今後、成果を形にしていきたいです。
また、アンケート調査で全体的な傾向を明らかにするだけでなく、難聴の方にインタビューした語りを対象に、その移り変わりをまとめたりなど、質的な研究も進めていきたいです。難聴であることを隠そうとしてきた自分自身の体験も研究としてまとめたいなと思っています。人工内耳を装用したことで、聞こえ方だけでなく、自分自身に対する認識、聞こえにくさへの対処方法がどう変わっていったか、せっかく人工内耳の装用者になったので人工内耳の研究も進めていきたいですね。
さいごに
勝谷さんは現在、『難聴者の心理学的問題を考える会』の代表を務めています。この研究会は、難聴を研究テーマとする研究者や自ら難聴を持つ研究者が集い、2011年につくられました。これまで行ってきた公募シンポジウムや自主ワークショップでの報告をもとに、2020年『難聴者と中途失聴者の心理学』を出版しました。とても学びの多い本ですので関心のある方はぜひご覧になってくださいね☺
また、勝谷さんは自主サイトの中で、オーディトリー・ニューロパチーや人工内耳、勝谷さんが定期的に行われているきこえカフェ、研究業績、趣味の落語(ご自身も演じられます!)など、様々な情報発信を行っています。こちらもぜひご覧になってくださいね☺
オーディトリー・ニューロパチー(AN):1996年に初めて報告された。特徴的な所見として、純音聴力検査は両側低音型障害、語音明瞭度検査(言葉の聞き取り検査)は最高語音明瞭度が50%以下、DPOAE(歪成分耳音響放射検査)は正常反応、ABR(聴性脳幹反応検査)は無反応を示す。先天性難聴の約5%に存在するといわれている。