KIKOE×ヒト

聴覚障害のある言語聴覚士として|両者の思いがわかる存在として歩んでいきたい

こんにちは、KIKOE LIFEです。

様々な分野で働く難聴者の思いや生き方にスポットを当てる【KIKOE×ヒト】。今回は、言語聴覚士の乾恵梨さんにインタビューさせていただきました。

乾さんは現在、京都府聴覚言語障害センター(京都府城陽市)で働いています。言語聴覚士として聴覚障害者の相談支援に関わる一方、彼女自身聴覚障害当時者でもあります。これまで彼女がどのように歩んできたのか、今どんなことを感じているのか、お話をお聞きしました。

朗らかな笑顔が印象的な乾さん

中等度の難聴だとわかった

ーー難聴が分かったのはいつ頃ですか?

:3歳児検診の時に「言葉が遅い」と指摘されましたが経過観察でした。そのあとすぐ中耳炎で耳鼻科にかかった時に、お母さん自身も難聴があることから私の聞こえが気になると相談し、中等度難聴と判明しました。実は、お母さんとおばあちゃんも若い時から難聴なんです。お母さんは40~50㏈、おばあちゃんは70㏈ギリギリくらいです。

3歳頃の乾さん

ーー難聴がわかってからはどうしましたか?

:「入学前検診で耳のことを言われる」と院長先生(耳鼻科医)が判断し、言語療法に通うことになりました。小学校低学年は週に2回、中学年は週に1回、高学年になったら月に1回の頻度で通っていました。成長するにつれて言語療法の頻度は減ったのですが、高校を卒業するまで継続して院長先生やSTの先生に関わっていただけました。小学校低学年の言語療法は音読をして発音をみていただいたり、文章を作る練習をしたりと言葉の学習が主な内容でしたね。補聴器は、学校生活で困らないように5歳で左耳、6歳で両耳につけました。

家族の理解や医師、STの支えがあった

ーー学校生活はどうでしたか?

小学校、中学校、高校は地域の学校に行ってました。小5でFM補聴器を使い始めました。座席は1番前と後ろの列、FMから雑音が聞こえるので壁側の列を外してもらって席替えに参加していました。最前列は友達の様子が見えなくて不安になるんです。FM送信機は先生がつけているので先生の声は補聴器だけよりもクリアに聞こえるのですが、友達の声は補聴器で聞いているので聞こえにくいことが多かったです。例えば、一段落ずつ順番に読んでいく音読の時に、読んでいる箇所がわからなくなったら隣の席の友達に教えてもらうことも。

ーーFMの送信機・受信機は自分で買ったのですか?

:FMは教育委員会から借りていました。STの先生とお母さんが教育委員会に交渉してくれました。小学校は市立で借りることができたけど、中高は県立の一貫校だったので、「もし他に身体障害者手帳を持ってる生徒から要望があった場合はそちらが優先になります」と言われました。でも、「授業を受けるために配慮として必要です」と交渉してくださり、高校を卒業するまで借りることができました。学校の先生の理解があったり、交渉をSTの先生にしていただいたり環境に恵まれていたと思います。

10歳頃の乾さん

ーー難聴のことは周りに伝えましたか?

:小学5年生の自由研究で、聴覚障害のことを調べて模造紙にまとめたことがあります。学年は2クラスだけだったのでみんな私が聞こえにくいことは知っていたと思いますが、聴覚障害について知ってほしかったんです。中学でも入学式の後に少し時間をもらって、「耳につけているのは補聴器という機械で音を大きくする機能があるけど、聞き取れない時に何度か聞き返した時は繰り返し伝えてほしい」という話をしました。挨拶や突然話しかけられた時に気付かなくて無視をしたと思われたり、「もういいよ」「なんでもないよ」とはぐらかされたりするのが嫌だったので、無視ではなくて気づいていないだけということを知ってもらうためでした。補聴器は髪の毛で隠したら見えないし、発音が苦手な音もあるけど発語は明瞭なので聴覚障害があることをわかってもらいにくいと感じ、最初に説明しました。

ーー誰かに相談しましたか?

:耳鼻科の院長先生、STの先生に相談することが多かったです。言語療法だけでなく補聴器外来や学校の先生への説明など環境調整もしてもらえました。

ーーSTを目指したきっかけは何ですか?

:言語療法でずっと同じSTの先生が関わってくださって、学校生活の悩みなど家族には言いにくいけれど、STの先生には話せることもありました。同じように聴覚障害児・者の生活の場面に関わりたいと思ったことがきっかけです。

情報保障の重要性を痛感した

ーー大学生活はどうでしたか?

:大学入学前の相談では情報保障としてデジタル遠隔補聴援助システム(以下:ロジャー)が必要と伝えて、大学で購入してもらいました。実は、聴覚障害者の情報保障としてノートテイクがあるということを知らなかったんです。大学1年生の冬にそれまで60㏈くらいだった聴力が突然80㏈になってしまいました。環境が変わったことや、学校生活や将来の不安なども影響していたのでは?と思います。そして大学1年生の時に初めて身体障害者手帳4級を取りました。

大学では卒業試験や国家試験もあるため、聴力が低下して、先生が話している声が聞こえにくく授業についていけないことは不安でした。そこで、近畿ろう学生懇談会(以下:近コン)で知り合った他大学の聴覚障害学生にどのような情報保障を受けてるのか色々と教えてもらいました。聴覚障害学担当の先生とも相談し、大学内でノートテイクの制度を作ることになりました。すべての授業にノートテイクが付くことはなかったのですが、ノートテイクがあれば聞くことに集中せず授業を理解することに集中できると感じました。

授業ではロジャーを必ず先生に着けてもらうようお願いしていました。「はっきり話してほしい、背中を向けて話さないでほしい」とお願いすると、始まって10分や20分は気をつけて話してくださりますが普段の話し方に戻られる先生が多かったですね。聴力が低下してからは、音はわかるけれど言葉として聞き取れないことが増えました。何か話しているのはわかるけれど、口元が見えずボソボソしゃべられるとわからなかったです。大学の時に友達のノートにはすごくお世話になりました。

ーー実習の時はどうでしたか?

:1年生の時は1週間の見学実習、3年生は4週間の評価実習、4年生は8週間の総合実習がありました。

見学実習は高次脳機能障害、嚥下障害の患者さんが多い急性期の病院でした。ST室での訓練の見学はマスクを外して実施してくださりました。嚥下障害のある方の昼食の巡回では立ち話で医師や看護師と話すことも多くて、その会話をその場所で聞き取ることはできなかったですね。その経験は病院で働く場合の情報保障を考えるきっかけにもなりました。

評価実習は小児聴覚障害・発達障害・知的障害を対象とした療育施設でした。特に難聴乳幼児の療育や聴力測定を学びました。手話ができる先生がおられ、私と話す時は手話でしたが、先生と保護者が話している時は音声だけなので、ロジャーを使用しても全く内容がわからなかったです。聞こえていれば、聞いて記録することや学ぶことができますがそれができないので、「どのようなお話をされていたのですか?」と確認してしました。

総合実習は小児の言語療法(言語発達遅滞や吃音、構音障害、聴覚障害など)と補聴器外来、成人の耳鼻咽喉科外来や乳幼児健診まで様々なことを学びました。実は、私がお世話になっている耳鼻咽喉科でした。情報保障はUDトークを用意してくださりましたが、個室の静かな部屋でも子どもの声は正確に変換できませんでした。小児から成人まで耳鼻咽喉科で関われたことは現在の仕事に活かせる学びがたくさんありました。

様々な出会いに支えられた

――手話はいつから学び始めたのですか?

:大学1年生からです。聴覚障害学担当の先生に出会ったことがきっかけです。その先生は地域の手話サークルに通っていて、秋頃に勇気を出して「手話サークルに行きたいです。一緒に行ってくれませんか」と伝えました。そのサークルで出会った方が近コンを紹介してくれて、それを機に全日本ろう学生懇談会(以下:全コン)など聴覚障害者団体や手話を使って活動している団体に関わるようになりました。

大学生の頃の乾さん

――聴覚障害の学生さんと話すのは大学生の時が初めてですか?

:そうです。小学校の時、1歳下に家が近所で重度の難聴の子がいて、小学校の時はその子と私が難聴だったけど、中学校で学校が別になりました。聞こえない知り合いが増えたのは大学に入ってからです。実は、全コンの行事で先ほどの近所の難聴の子と6年ぶりくらいに再会したんです。嬉しかったです。他の大学の手話サークル員、社会人で手話を学んでいる方、近コンや聴覚障害者協会青年部の方など、大学生の時に手話に関わる人たちと出会えたのは私にとって大きな転機となりました。

――たくさんの聴覚障害の学生と会ってどう感じましたか?

:大学1年生の冬に近コンを知って、2年生から会員になりました。手話で会話ができるようになると、友達と話すことが楽しかったです。「集団で会話しても話についていける!」と感激しました。これまでの生活を振り返って、今まで聞き漏らしてたところがいっぱいあるんだなぁと思うようになりましたね。

大学の卒業式で🌸

ーー聴力が低下していく中でどのように感じましたか?

:もしも聞こえていればなぁと思うことは高校まではすごく多かったです。でも、大学で手話を覚えてから聞こえない自分を受け入れられる時間が増えてきました。それは手話を覚えたことと、聴力が低下して聞こえないことを自分が認められたからかなと今は思います。中等度難聴って微妙なところにいるんですね。聞こえる人でもなく、全く聞こえないわけでもない、不自由なく聞こえる環境の時もあれば、ほとんど聞き取れない時もある。「聞こえにくいことを受け入れなきゃ」と頭でわかっていても、何か小さなきっかけでネガティブな感情になってしまうと「やっぱり聞こえてたらなぁ…」と思ってしまうこともありました。

最近、手帳の等級が2級になり中等度・高度・重度難聴を経験しました。私自身は中等度・高度難聴がコミュニケーションの環境などにより聞こえ方が変化して、自分のアイデンティティが揺らぎやすかったと思います。

――中等度難聴の頃は手話に関心はありましたか?

:高校の時にボランティア部があったんです。外部の方が手話を教えに来てくれていました。友達に誘われたのですが陸上部のマネージャーと迷って、結局マネージャーを選択しました。「もし、そこで学んでたら何か違ったのかなぁ」とは思います。高校の卒業式とか、ボランティア部の人達が手話通訳をしているんです。でも、見てもわからなくて。先生の言ってることもわからないし、手話もわからないし、何か手話を覚えられるきっかけがあったら良かったなぁとは思います。簡単な手話だけでもいいので、自分で覚えようと思った時に、「昔、学んだことあったなぁ」と思い出せることがあれば、手話に対するハードルの高さが違うのかなと現在の仕事で子ども達に関わってから思いました。

子どもの時に手話を学べる環境があるっていうことは、同じ聞こえにくい子ども達と出会う機会につながるのかなとも思うので、そのような環境や機会があればいいなと思います。

難聴者として、言語聴覚士として

――現在はどのようなお仕事をしていますか?

:聞こえの相談や聴力測定、巡回相談をしています。ろう者や難聴者の一般相談、ITや生活に関する相談なども担当しています。

仕事の時のコミュニケーションは職員同士なら手話、相談に来られた方がろう者なら手話、難聴者ならその方に合わせた方法です。難聴者の場合は、本人が音声で話される場合は手話通訳をつけてもらって、私は難聴者に対して音声言語、もしくは筆談で会話をしています。手話での会話が可能な場合は手話を使用します。

ーー仕事の中で大変に感じることはありますか?

:特に軽・中等度難聴の方の場合、ご本人は困っていないと思っていてもご家族からコミュニケーションが取れなくて困っていると相談される時に、難聴者の支援の難しさを感じることがあります。どのようにご本人にお話するか、ご家族に説明するかなど言葉の選択や内容に気を付けています。一言で「聴覚障害」と言っても、一人ひとりの聴力レベルや生活環境などが違うので、本当に求めているニーズを引き出すことが難しいと感じます。

ーー難聴と共に歩む上で大切だと思うことを教えてください。

:「聴覚障害はどうして生じるのか?」とか「自分の難聴はどういう症状?」ということを知ることは大切かなと思います。知識として理解し、経験をすることで様々なコミュニケーション方法の中から場面に合わせた使い分けができるようになると思います。聴覚障害者の中でも、ろう者と比べて難聴者は自分の難聴について学ぶ場所や機会が少ないと思っています。難聴者が生活する上で自分にとって楽なコミュニケーション方法を知るために自分のことを知って、自分に合うコミュニケーション方法を見つけることが必要と感じます。

養成事業や啓発講座で「聴覚障害の基礎知識」の講義を担当することが多いのですが、いつも最後に言うことがあります。それは、「アイデンティティは他人に決められるものではなく、自分で決めること。」「アイデンティティは人生の途中で変化してもよいのではないか。」ということです。ろう者、難聴者という呼び方は医学的・社会的モデルで意味が変わります。近コンで「ろう学生」という言葉は「聴覚障害の学生」という意味で私は使用していました。その経験から自分のことを「難聴?ろう?」と聞かれた時に今は手話がない生活は想像できなく、でも日本語も大切な母語ですのではっきりと答えられません。そのようにアイデンティティを確立するために様々な人と出会い、自分のコミュニケーション手段を確立することができればよいと思います。そのために、聴覚障害についての知識や情報を得ることができる場所や機会も必要と感じています。

ーー今後の夢や目標を教えてください。

:今後についてはSTを目指した時と変わっていなくて、聴覚障害者に関わる仕事がしたいと思っています。特に、地域の学校に通っている聴覚障害の小・中高生に関わりたいですね。さらに仕事を始めてから、成人になってから聞こえにくくなった方にも関わり続けたい思いが大きくなりました。聴覚障害者、そして言語聴覚士として、私だからできることを少しずつ実現できればと考えています。

乾さん、お話を聞かせていただきありがとうございました(^^♪

※今回のインタビューは透明マスク着用のもと行いました。

京都府聴覚言語障害センターについて

京都府聴覚言語障害センター(京都府城陽市)では、聞こえ、子ども、仕事、生活に関する相談のほか、手話通訳者や要約筆記者の養成・派遣など様々な事業を行っています。

◆聞こえの相談:聴力測定・相談

◆子どもの相談:南部難聴幼児サポートセンター

◆仕事の相談:就労支援事業

◆生活の相談:生活支援事業

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社会福祉法人 京都聴覚言語障害者福祉協会
京都府聴覚言語障害センター
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